おやま魅力発見WEBBOOK
34/50

歴 史・文 化富士山金太郎自 然歴史・文化産 業見る遊ぶ買う食べる泊まる歴史の宝庫足柄 文学碑見る新田次郎文学碑足柄峠やその周辺には、今も数々の石碑や文学碑が残っている。和泉式部誕生石竹之下字観音堂の田んぼの中にある、直径1mほどの石で、和泉式部誕生石と言われ、名のごとく和泉式部の誕生地の伝説を伝えている。和泉式部の二度目の夫が、金太郎の主君、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)であることが縁で、金太郎が頼光に知遇したのではないかとの説も唱えられている。古見豆人の碑金太郎富士見ラインの足柄城址の側道沿いに位置する石碑。豆人の本名は古見一夫と言い、校長職を経ながら号を豆人と称した俳人としても名高い。小山町では「坂田公時の研究」の著作で有名。自然をこよなく愛し、富士山を愛した新田次郎氏は、「強力伝」「怒る富士」「新田義貞」など、数々のベストセラーを出版。小山町内で取材をし、富士山に係わる多くの書物を残した。町は氏の富士への愛と誠意に感謝を込め、生誕90年にあたる2005年、富士山展望日本一を誇る「誓いの丘」に文学碑を建立した。碑文は、「富士の美」から選定され、『恋をしている若者たちの眼に映る富士山はバラ色に輝いて見えるであろう』と刻まれている。生田蝶介の碑富士山を見渡せる足柄城址に建つ。歌人、小説家として明治~昭和に活躍した生田蝶介。下関出身だが小山町に疎開したことで親交を深めた。この碑には「全貌を 裾野まで見せてあますなし 不二は悠然と 天ささげ立つ」と書かれている。32

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です