おやま魅力発見WEBBOOK
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富士山金太郎自 然歴史・文化産 業歴 史・文 化見る遊ぶ買う食べる泊まる歴史の宝庫足柄 神社仏閣見る足柄峠六地蔵白旗神社臣嶽山 興こううん雲寺じ御ご本ほん尊ぞん子こ安やす観音菩薩足柄峠まであと一息というところに鎮座する地蔵群。「六」の所以は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)を彷徨う衆生を救済する六人の地蔵菩薩様からきているといわれている。しかしこの六地蔵は2箇所にあり、峠に近いものを「上の六地蔵」、もう一方を「下の六地蔵」と呼び区別している。「下の六地蔵」は8体あるが、これらはいずれも竹之下合戦の弔いのために方々にあったものを、一カ所に集めたものではないかと言われている。白旗神社(所領)には、左近衛中将藤原為冬卿(ふじわらのためふゆ)が祭神として祀られており、創建は1487年頃。伝承によれば、建武2年竹之下合戦に敗れた為冬卿は、兵士75名と所領村に入り、老母より出された栗の飯を萩を折り箸として食された後、裏の丘の上で74名の士と共に自刃し果てた。里人達は御遺体を埋葬し石塔を建て手厚く弔り、今の白旗神社に至る。「興雲寺」の御本尊は子安観音菩薩(こやすかんのんぼさつ)で、安産祈願のお参りをする人も多いが、夜泣き、かんの虫にも御利益がある。ここでお参りをした後、子供を授かったという報告が数多く寄せられており、ぜひ子供が欲しい人は祈祷をお願いするとよい(要予約)。弘法大師が諸国巡歴の途中、この地で秘法を伝え、真言宗の密院として建立したと伝えられ、鎌倉時代、竹之下孫八左衛門源頼忠(大森頼忠)が開基となり、厚く保護した。天文5(1536)年、揚天宗播和尚により曹洞宗に改宗し、寺号も興雲寺に改名した。本堂左手にある御本尊子安観音(こやすかんのん)様は大森頼忠の念持仏(ねんじぶつ)とされる。鎌倉仏師運慶の彫造と伝えられる尊像である。誓願歌は「わがすがた 水にうつしてのむならば 産苦にかえて親子たすけん」とある。33

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